正解を求める 1

生きていくうえでいろいろな判断がある。

仕事にも人生においても判断の連続である。

 

特に仕事においては、正しいほう、正解は何か?を求められるケースが多い。

というかそのように判断する人が多い。まあ、仕事はそういう部分も往々にしてあるが、これは危険だからよく知っておいたほうがよい。

正しいか、正しくないか  

 

これよりも

 

ワクワクするか否か?

これで判断するほうがよい。というか、そうすべしである。

 

正しさとは何か?

 

計算式のようなプロセスのなかでの問いは、正しさが意味を成すこともあり得るでしょう。でも、とりわけ人生を左右する判断などは、正しいか?正しくないか?という判断軸はマジで意味がない。
だって、人間70憶人いて、正しさなんて、人それぞれだもの。


なので、自分のワクワクを優先したほうが、自分の人生が大変有意義になると思っている。ここで重要なのは自分は何にワクワクして、何には興味がないかきちんと知っておくことは重要。

 

俺は、今、執行役員Sansan営業部長の身である。

お給料は普通のサラリーマンからするとがぜんよい。

会社からも信頼されているし、このままSansanでチャレンジするのもありかと思ったこともある。

 

だけどやめる。

 

もっとワクワクすることがあると思ったから。

*このあたりは別途記載したいと思う。

まあ、大半の人は、もったいない、とか不幸になるぞ!とか言ってくるけどね。
俺を心配して言ってくれているからありがたいけど、俺は社会的地位やお給料の安定よりも自分のワクワクすることに時間を使いたいと思ったからやめるのですよ。

その方が死ぬとき、楽しかったなー、やりきったなーって思えそうだから。

正解ではない、ワクワクを選んだんだ。

自分にとって、キャリアや、給料よりも、もっとワクワクすることがたくさん世の中にあるんだよね。 部長とか、役員とか、ほんとどうでもよいんだよね。俺にとっては。

まあ人に理解してもらおうとは思ってないけど、かあちゃんは分かってくれてるからいいやって感じです。