仕事における評価

これはオプション程度に考えておいたほうがよい。大半の人間は会社から評価を得ることを目標に日々の仕事をがんばるが、俺はそれは間違っていると確信している。

それはオプション程度に考えておいてその会社で何を得たいのか。どう成長したいのか。それのみにフォーカスし、それにチャレンジすることが重要。

なので、そこを軸に会社を選んだほうがよいし、その目標にコミットしたほうが自己の成長につながり結果それが評価に繋がる。

 

これ本当にシンプルなのだけど重要で、案外みんなできてないこと。

 

 

858のフォークワーナイト

俺がよくいく飲み屋。858。 そこで出会ったいくちゃムが9年間続けているフォークワーナイトに出た話。

父ちゃん以外はみんなプロみたいなミュージシャン。

858のまーさんといくちゃむが、「ようちゃんでなよ。でてくんないかな」っていわれたのね。

 

俺は新しいことやチャレンジの瞬間を目の前にしたときとりあえず「やる」を選択しようと決めている。

 

決めたあとは後悔することあるよ。今回も、イベントが近くなるにつれて、やべー、、全然できねーってあせりまくった。

でも適当にやったら、9年間もそのイベントを温め愛してきたいくちゃむに申し訳ないから、そのプレッシャーに全力で対峙するわけです。

 

当日は君達みてたよね。演奏はぼろぼろだった。けど、周りのみんながとても優しくきいてくれた。とうちゃん手が震えてうまくひけなくてな。

ゆーじろーが終わった瞬間に「とうちゃんかっこよかった」っていってきてさ、かあちゃんみたら満面の笑みで「本番よわいねー」って笑ってた。

 

結果、どきどきよりも、すごく幸せな気持ちを得ました。あと、人前でウクレレ弾く度胸がついてきた。

 

やるかやらないか。この二択は人生でたくさん出会うでしょう。やるということはチャレンジ。きつくても怖くてもそれを経由して成長した新しい自分にであう。

*悪いこととかへんな薬とかそういうのはチャレンジしなくていいからな。

 

そういうことを身をもって君達に教えたいといつも思ってる。俺親父だから。

親父の俺が新しい扉ガンガンあけて、失敗して、笑われたりして、でも、最後あけてよかったーって笑っていくことを決めている。

 

新しい扉を目の前にしたとき、開いてみると新しい世界がある。

どんどん扉あけていって、自分の可能性を広げていってほしいんだよ。

 

父ちゃんはとびら開きまくっていったらこんなにすばらしい友達ができたよ!

 

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人に嫌われて心いためたとき

いろんな奴と関わっていきていくのね。人は一人では成り立たない。大好きな人ができるでしょう。 だけども、たまに人に嫌われることってある。そん時はかなしいよね。心が痛むことでしょう。 そんな時忘れないでほしい。 そいつが嫌いだと思う感情の一億倍俺とともちゃんがあなたたちのことが好きなことを。

なみじゃねえから。お前らのこと好きなパワーは。

 

だから、嫌われたからって人を嫌いにならない。

 

嫌いだっていわれたら、笑顔で、「いいよ別に。それでも俺は超好きだから。」

 

って。そうやって人を愛してほしい。

かあちゃん

 

おなかの中に子供らができて、長いつわりの生活。

においがとにかくだめでよくくさいくさいといわれた。

ずっと二日酔い状態らしい。動くのも大変そう。 それを抜けたらおなかが大きくなる。

動きは当然制限される。好きなフラダンスは休むようになるね。

 

で出産。

あの瞬間は本当に尊敬したよ。親父は何もできない。かなり気合入ってると自分の女房ながら尊敬と、感謝でしかない。

 

で産まれるわけだ。

最初は2時間しかねないから、ずっとおきておっぱい。 おむつかえたり、変な動きをしたりしたら、以上があるんじゃないかって、Webで調べまくって、様子見て。

全然寝れないのな。

 

すこし大きくなって、ご飯たべるようになる。つかまりだちしたり歩いたりし始めると部屋の中には危険が一杯でいつも気を張って見守る。

必死につくったご飯が気に喰わないのか、子供達はてでぐちゃぐちゃでぽい。

怒っても言葉わかんないから、黙々と片付けるわけだ。

 

フラがすきで、仕事好きだったかあちゃん。友達ともいつものみに行ってたらしいよ。

ハワイとか海外旅行もよく言っていた。おしゃれも好きで、服なんかも大好き。

そんなこともせず、そのすべてを子供達に注ぎ込んでいる。

 

すげーな。と思うよ。

 

だから大きくなったら、チャンと返してやってなー。

 

親が子を育てるのは義務だし、当たり前なんだけど、かあちゃんのコミットはすげーぞ。ってことを今言ったてわかんねえから後でいいから感じろよ!

 

 

血を信じる

他人からみるとかなりアホな話なんだけど、俺は加藤家の血を信じている。

 

それは何かっていうと、最後絶対にポジティブにチャレンジするってところ。

 

過去いろいろ失敗したり、自分を責めたりとかもあったけど、最後その事象に対し

ポジティブに且つファイティングポーズをとってチャレンジするモードになる。

 

なぜそうなるのか?って考えたんだけど答えが見つからん。 これはもはや、加藤の血なのではないか?と考えた次第です。

 

兄弟を見ると、みなそうなのよ。 じゅんちゃんもいくみちゃんも。

だからすんごく不安なことや、打ちのめされたことがあっても、こころのどこかで、「俺は今は落ち込んでるけど、またどっかで復活するんだろうな」って思ってる。

 

っで、結局百発百中でそうなってる。

俺のとうちゃんは、プライド高いいなかもんで、友達つくるのってあまり旨くなかった感じがするけど、最高に俺は好きでさ、明るくって男らしくって、不器用な人だった。 

くよくよ、めそめそしてるところは見たことない人で、金の件とかで辛い時期もあったと思うんだがいつも強い感じだったよ。

 

俺もそうそうないけど、落ち込んだりしたとき、あー親父だったら奮起すんだろうなーって思ってていつの間にか、血みたいなものに確信をもつようになった。

一度じゅんちゃんといくみちゃんと酒飲んだときにその話したら、3人みんなおんなじだったんだ!! 

みんな血を信じてたのよ。うけるよね。 加藤家は必ずポジティブに立ち上がるんだ!って。超笑ったよ。

 

だから、人生で悩むことあったり自分に自信がなくなったり落ち込んだりってあると思うけど、俺の血を引き継いでるのでお前ら絶対に大丈夫だぜ。

 

承認欲求


旨く付き合ったほうがよい。
承認欲求は誰もがもつ。 これが強すぎたり旨く自分の承認欲求をコントロール
できない人は、いたずらに周りの評価をほしがる。
 
本心ではいやなことも、飲み込んでいく。人に合わせ、他人の評価に支配され
いきていくことになる。これはつらいぞー。
 
それが悪いとはいわない。けど、俺がみたその手の人は、周りとの関係性で
悩みくるしんでいる人が多い。人は嫌われたくないんだよね。嫌われるのは俺も別に好きじゃないけど、俺のあるがままを受け入れてもらえなかったらそりゃそれでしょうがない。かといって別にそいつを嫌いになるとかもない。
 
俺のお勧めは承認欲求は職場で求めないこと。
職場で持つと、是々非々の判断ができなくなる。評価、見られ方を気にして
自分のやるべきこと、するべき判断を曇らせる。
これはなかなか難しいし、ゼロにせよってそれは無理な話なんだ。あくまで
バランスだと思うけど、職場では承認欲求を半歩引いて見る。承認、評価してくれて
ラッキーくらいがちょうどよい。
 
承認欲求はもっと、自分の人生にとって長年付き添うであろう人に対して
向けることがよいと思う。
 
俺であれば、家族、友人 がそう。
 
彼女でもいいけどね。俺ともちゃんと付き合ってるときから、そうだったし。
彼女に認められるというか、「いい男だ!」といわれることが喜びなので
一生懸命やったんだと思う。
 
俺の場合、嫁への承認欲求が自分の人生を豊かにしてきたし、職場のステージもあげていった。
 
あと、基本的に俺は愛されてきたという自信がある。
これは、両親に感謝なんだけど、子供達にもその自信をあたえたいとすごく思うよ。
 
自己肯定感というか、自分が自分で俺はいけている!と思っていきてきたんだけど
これは案外幸せなことだと大人になって気付いた。 
 
超絶勘違い男の部分もあるけど、承認欲求が子供のときみたされてきたから
こうなったのかなと思う。
 
って、最近の職場の若者の悩みをきいていたら書きたくなったよ。
 
こいつには認められたい!!って人がでてくるって幸せなことだよな。
一生かけて認めさせよう!認めてもらいたい!ってそんな存在がいるだけでがんばっちゃう理由になるからね。
 
俺は子供とか嫁ってのはそういう存在だな。友達はそりゃ認めてもらったりほめてもらうのはうれしいけど、ただただ楽しい気の合う仲間ってかんじかな。

 

判断

人生とは判断の連続だとおもう。

細かいものから、大きなものまで、たくさん判断するでしょう。

 

判断するときにいろいろなものさしでその判断対象をみるでしょう。

だれそれがこういっている。 あの本にはこうかいてある。

 

ただし決めるのは自分である。

 

これを覚えておいたほうがよい。

 

決めるのは自分である

 

つまり、決めたことに対して責任が付きまとう。他人のせいにはできない。

 

今日、とうちゃんは、会社で仕事をしている。

この会社で今の仕事をしているのは、だれでもない俺の判断の連続がもたらしたものである。その今を愚痴ったり失望しても、それを選んできたのは俺である。

 

ちなみに、俺は自分でかなりいけてる判断してきたとおもってる。 今も幸せだし

今後もより楽しく生きるためのプランが多々ある。

 

判断力をつけるというのはかなり難しいけど、それは自分で決めるということを決めることから始まる。

自分の人生は自分でハンドルを握っているということを自覚することである。

 

親であるおれは子供達がどっちにいきたいか、聞いて支援できることは何でもしてあげたい。しかし、変わりに決めることはできない。

 

判断とは常に自分で決めるのである。

 

 

判断の質を上げる

 

これも重要である。

決めることはできてもそれが本当によいかどうか、その質を上げることは重要。

 

 

判断の質を上げるために、いろいろな経験をし、人と話違う価値観に触れ自分を確立

していってほしい。自分が何になりたいか、どういきたいか、自分のビジョンを確立してほしい。

 

誰が言い出したかわからないような、世間の常識を軸に判断するようなことはしないでほしい。

自分はどうあるべきか。どうしたいか。それには何が優先されるのか。

そういったことを多面的に考えてリスクがあるのも承知で判断できてこそ、本当の判断だと思う。

それは決断といってもよいかな。

 

決断できる奴がよいな。なんとなく、世間の常識、親の期待にながされて生きるのでなく、

俺はこうなりたい、こういう風な人生を送りたい!という自分のビジョンのもと今を決断していくような人になってほしい。

 

そういうやつって、すげー強いし、なんせ活き活きと楽しそうな奴らが多いから。