反対意見

 自分が「こうやりたい。こうなりたい!」という夢、目標がある。それを人にいったとき、「お前じゃ無理さ。」とか、「できるわけないだろう」といってくる人がいるが、それを聞く必要はまったくない。 それらの言葉を言う人達は、自分が本当に挑戦して、何かを得たことがない人である。

 

トヨタ国産車をつくりたい!といったとき、すべての周りの人がわらったという。

でも、トヨタ創業者は、その情熱を消すことなく、チャレンジし続けた。

結果、今があるわけである。

 

大概は、やりたい!なりたい!という思いが本気ならやれると思う。才能などは、イチローもいってるけど、100%のうち1%だと。99%は努力である。

努力し続けることができるってのは、本当に叶えたいこと、なりたい自分、ほしいものがあるからである。

 

君たちが将来「○○になりたい!」といったとき、俺は全力で応援する。その代わり本気でなりたい!って思うもの探してな。

喜びと苦しみ

喜びと苦しみは振り子のようなもの。表裏一体の存在である。喜びしか無い世界など、その喜びは喜びではなく、苦しい、辛いがあるから喜びという感情が生まれるわけである。 つまり苦しみは、喜びの前兆であり、喜ばしい存在である。

目先の辛さ、苦しさを自分がどう解釈し、ポジティブに変換していくか。という話。

 

ストレスにおいても、ストレスとは過去より「悪いもの」であると認識されてきたが、長寿の方の統計をとると、若い時、超絶ストレス感じてきた実体験を持つ人が長生きししているとうデータがある。

それをもう少し分解すると、ストレスというものを、

①悪いものと認識しているひと

②良いものと認識しているひと

 

のパタンで分解され、長生きするタイプは②である。

 

ストレスを自己の成長機会とポジティブに捉えられる能力こそ、長寿の秘訣であり、人生をポジティブに生き抜き、自己実現をもたらす。

これからたくさんの喜びと苦しみを味わうでしょう。今までも味わってきたのかもな。

苦しみに感謝できるようなレベルに到達すると、あなた達の人生はもっと豊かになるんだと思うよ。

苦しみの特徴として、

・対峙してやっつけようとしてもどんどん大きくなる

・逃げても追いついてくる

というものがあるらしい。

 

であれば苦しみとどう向き合い、付き合っていくか、が重要なのかもな。

俺はまだまだその領域までいたってないけど、大概のことは、楽しみに転嫁できるんだ。なぜそうなったかはわからん、が、生まれ持った性格。育った家庭環境が起因してるんだとおもうだけど、君らは俺の血を引いてるわけで、そういうのできると思うよ。

酒を飲まずして酔っ払ったときの自分でいる力

これを結構追求している。

酒を飲んだときは、面白い。子供に戻ったように、おもろいことに対しどんどん追求する。冷静ではないから失敗も多いが。

人に対しても壁がどんどんなくなる。俺もうけいれるし、人のふところにどんどんはいっていく。要は自然体で、ガードがなくなっていくんだね。俺の場合。

 

それをシラフのときからできるようにする。できるだけフラットに、人に対する懐疑心や自分の羞恥心をどんどん外していく。調子がいい日はできるけど、自分に余裕が無いとできないからなかなか難しい。

 

結構日々の生活で気をもむことって、懐疑心、羞恥心などが根本にあることが多い。

俺は人にどうおもわれているのか、とかコントロール聞かないことを考える。

その結果、振り返るとすごくダサいこといったりやったりしてゲンナリしてきたんよ。

 

だから、シンプルにいられるように常に心がけたり、振り返ったり。

良いものはよい。悪いものは悪い。嫌いなものは嫌い。好きなものは好き。

そういうシンプルに人に対して生きることは、無駄な悩みや憂鬱を減らすんだよね。俺の場合。

 

 

BBC2周年

先週の日曜日BBCの2周年パーティー

ハンバーガー、BMX好きなバシ君が、その夢を追っかけて工場を改造してBBCをOPENした。その2週年を祝うイベントに、たくさんの友達が駆けつけ、ライブしたり、BMXのったり。

 

イベントの運営もいつも千住で父ちゃんが飲んでる友達のみんな。

無償でそのイベント手伝うわけだ。

それもバシ君の夢に対する情熱あってことだし、彼の純粋なところと、人懐っこい人望であれだけのイベントになったんだね。

 

本当にやりたいことに対してチャレンジしているのってなんて素晴らしいんだろうって感動した。

最初は皆無謀だって言って止めてたらしいけど、BBCも2店舗目を開くほど順調らしい。 やっぱり情熱だよ。

本当の情熱は、本当にやりたいことに対峙しないと湧き上がらないんだよな。

 

俺は人がやめとけっていうことの大半は聞かない

唯一きくのはかあちゃんの意見くらいかなー

 

とうちゃんがSansanにいくとき、周りの皆が反対した、その前の会社でもとうちゃんは順調に成果を上げてたし、評価もされてた。当時の年齢でお給料もよかったとおもう。周りからみたら順風満帆なわけだ。でも俺はつまんねーなって思ったからやめたんだ。

小さいSansanにはいったとき、みなにすんげー馬鹿にされたけど、全然きかなかったし怒りもしなかった。

結果今にいたるんだけど、まだまだSansanはどんどん大きくなって、世界中の名刺をかみじゃなくしちゃうくらいまでやんだけどさ、今では、周りは「転職正解だったね!」とか「運が良かったね!」とかいうのさ。なんだそりゃってウケるけどね。

 

かあちゃんはすんごく賛成してくれた。お給料がすごくすくなくなって不安もあったろうが、やりたいことやったほうがよいよっていってくれた。

 君たちにも本当にやりたいことが見つかったとき、それを全力でやってほしいなあとおもうよ。 

サーフィンのこと①

中学校のときスケボーにはまった。その流れでHipHopのような洋楽をきくようになった。高校に入学したらブレイクダンスをしている同級生と出会い、めちゃめちゃハマっていったよ。
クラブでダンスバトルしたり、他校の文化祭のダンスイベントでたり。

大学進学を決めたとき成績がよくなかったから、ダンスをやめた。1年死ぬ気で勉強しようと決めた。昼夜関係なく部屋にこもりっきで勉強してたとき、じゅんちゃんが多分心配したんだろうな。海に連れてってくれた。

サーフィンをやってるじゅんちゃんを初めてみた。じぶんも見よう見まねでボディーボードで波にのったんだ。

その時の水の上を滑っている感覚が衝撃的で、「大学うかったら、これをやろう」って心に決めた。

初めてアルバイトして、サーフボードをかった。
波の上に立てるまでには時間がかからなかったけど、そこからなかなか上達しない。だけど朝早くから海に入り、くたくたになって食べる飯は最高だったし、友達と海に入ってく瞬間とか、最高に気持ちかったので、どんどんハマっていった。

よく、ともちゃん連れて海にいったよ。デートは海が多かった。ともちゃんもサーフィンやってたんだよ。一瞬ね。流されて怖い思いしてやめちゃったけど。

基本俺が海にはいっちゃってるから、ともちゃんずっと待ってるのつまんなそうだったけどね。

大学ではアルバイトして、波乗りやって。お金を短期間で稼いで、そのお金なるなるまで海で波を追っかけながらキャンプしてたりした。

社会人になってからも、毎週海に通った。海の中でワイワイガヤガヤ仲間たちと馬鹿話するのも楽しいし、一人で海に浮かびながら、自分のことを振り返ったりするのも良い。自然に身を任せると普段如何に、重要でないものを気にしながら生きているのかということに気づいたりする。


シンプルに考えると人生にとってとても重要なことは、片手で収まるくらいの話だなあと気づいたのも海の上でだ。

あとサーフィンの友達からもたくさん良いことを学んだ。

現在37歳で、年々体力がおつてきた感は否めず、どこまでショートボードのれるかなとか考えるけど、体が動く限りはやりたいなと思う。

 

そうたろうが、ちょっとサーフィンに興味をもっているのがたまらなく嬉しいが、本当にやりたいというまではこちらから誘わないようにしてるんだ。

趣味は人から強要されるものではないからね。でも、いつか子供らとサーフィンできたら面白いだろうなと思うよ。

 

案外侑二朗と咲のほうがハマるきがしてんだよなー 侑二朗とかこだわったらとことん行く奴だかんな。

 

振り返り力

振り返り力が自分の未来を切り開く
 
 
まず、前提として経験すること。失敗、成功は、大した問題ではない。
経験することこそまずは重要である。
 
で、そこから、その経験を振り返る。
振り返りのポイントは、自分にコントロールできる問題か?コントロールできない問題か?
 
コントロールできない問題は、コントロールできないので、振り返る意味なし。
 
自分にコントロールできる問題を振り返る。
そこからのヒントを経て自分の成長の糧にする。
 
これを繰り返すことこそ、自己実現につながる道だ。
 
失敗したときなんか、自分の成長の糧が超あんぞ。
 
失敗したら、ラッキーくらいに思ったほうがよい。
 
そうにやって、実現したいこと、なりたい自分に近づいていく。俺も今もなおそれである。
 

成長を実感する

 

自分の成長を実感することは大変うれしいことだ。

 

ここでいう成長は、単に効率的に知識を詰め込むという類のものではない。

また、身体的な成長ではない。人間的な成長である。

 

自分という人間の成熟度を上げる。素養、考え方、価値観の変化、そんなところ。

 

以前は、絶対に許せないこと。認められないこと。が自身の成長により見方がかわることがある。 そのときの変化を自分で悪いと思わなかったらそれは立派な成長だよね。

例えば俺は、Hiphopとかストリートカルチャーが昔から好きだったから、それ以外の趣味を持つ奴らを下に見てたし、理解できなかった。若いときは毛嫌っていた感もある。

 

大人になり、熱中している人の熱量は等しく美しく、熱中する対象で区別するべきではないと思えた。

ビジネスに熱中しているSansanの社長とサーフィンに熱中しているセブさんとかの熱中具合は変わらなく、等しくかっけーなと思えるようになった。

 

これって自分にとっていい変化だなーくらいしか思ってなかったんだけど、

これこそ成長だなとおもった。

 

つまり、今嫌なものとか、嫌いなもの、許せない価値観

これは自身の成長で変わるかもしれないし、それを変えたときにより自分の人生によい変化をもたらすんじゃないかという期待を持てるのね。

 

だから、いや、ありえないっしょ!って思ったこととか、本当にありえないのかな?なぜありえないと思うんだろう?って自分の中で振り返るようになった。

その結果、全然ありえなくねえな。 今まで決め付けてたな。 ってこと結構あるんだよね。

 

さすがにこれはひとそれぞれかなー。 とまとまりに欠けるが。